割り箸は危険なのか?

OPP(オルトフェニルフェノール)が大量に使われた割り箸が危険という主旨の記事が出回ってますが……。

私もそんなの見てもどの程度信じるに足る話なのかよく分からないと思うわけですが。皆さんがっつり信じてコピーやら孫コピーやら、チェーンメール化してらっしゃるけれども、元の話がなんだかまったく示しておられない。なにこれ?

話の出所らしきものは、2005年05月31日「中国製割り箸に関する健康被害に関して」北京オリンピック開催に反対する市民の会 あたりによくまとまってる。で、実験手法は分からないけど、実験結果は 新聞「農民」2003.3.10付「ほとんどが輸入 竹製割箸(わりばし)に有毒漂白剤残留 農民連食品分析センターが分析」 にリストがある。まともな測定した論文は 船山惠市ら「割りばし中防かび剤の溶出傾向の検討」東京健安研セ年報 Ann. Rep. Tokyo Metr. Inst. P.H., 55, 2004 (PDF)

調べるとまぁこういうのは出てくるわけですが。

これらすべて10年前の話。

今どうなってるかはわからないわけですよ?

厚生労働省食安監発第1113001号・食安基第1113001号(平成19年11月13日)(PDF)において、割箸中の防カビ剤4種(OPPも含む)について不検出、二酸化硫黄又は亜硫酸塩類について1膳当たり4mgを超えないことを求めており、基準を超える割り箸の流通に対しては指導することになっています。

それにも拘わらず、いまだに日本で流通している割り箸はOPPに汚染されてるというのでしょうか?どなたか検証した文献を教えてください。



悲惨なメカニックサービスは誰のせい?

一輪車クラブにおいては、チームメカニック的な位置づけの私。

決してメカに詳しいわけでも、経験が豊富なわけでもなくて、まだ試行錯誤でやっていて、偉そうなことは全く言えないけど、衣装作成の面ではまったく役に立たない私なので、メカニック面で貢献しないと立場がない。昨日の練習の時も屋外レース用タイヤから室内演技用タイヤへの交換、パンクしたチューブの交換、サドルパーツを屋外仕様から屋内仕様に変更とか、色々あった。

ただまぁ、そうして色々車体を見てると分かるんだけど、最近の自転車屋の技術は酷い!
最近での最悪の事例は、本番中にクランクが脱落したのがあった。それは街の自転車屋でとりつけてもらったものだそうだ。タイヤを前後反対に取り付ける自転車屋もある。チューブがねじれて入ってるのもある。
(小学生の)選手達は、プロに見てもらった車体のつもりで競技会にエントリーしてるのに、本番中にくだらないトラブルに巻き込まれる事例が多数。
だから、最近私が一手に引き受けるようになってきた。

悲惨な車体メンテナンスなのは、誰のせい?選手なの?それとも自転車のサービスを有料でやってる奴ら?……と思ったりする、弱小チームのへっぽこチームメカニックであった。

 

Inspired by this article :悲惨なメカニックサービスの現状 

鑑識眼

見分ける力の話

 


視力の数値は、もともと軍隊において、人間大の標的をどこまで認識できるかというもの。1.0なら、1キロ。2.0なら、2キロ先まで識別できる。というものだ

という(Otsune氏がどこからか拾ってきた出所元不明な)ネタがとてつもない勢いで拡散されてる。

視力1.0とか視力2.0とか言うのは、ランドルト環(例のCのような輪に切れ目のある印)を用いて、見分けられる最小の環の切れ目の幅と、眼と環の距離の関係から求められる「視角」を基に、"分"単位で表した視角の逆数で表している。あくまでも数学的な「視角」が基準になっていて、人の大きさとかは全く関係ない。

 

ランドルト環はフランスの眼科医エドマンド・ランドルト (Edmund Landolt 1846-1926) によって開発され、彼の名前がそのまま名称となっている。1909年にはイタリアの国際眼科学会で国際的な標準視標として採用され、国際標準ランドルト氏環と呼ばれる

視力 - Wikipedia より


日本では直径7.5mm、太さ1.5mm、の円の一部が1.5mm幅で切れている環を5m離れたところから見て正確に切れている方向がわかる能力を「視力1.0」としているが、この視角を距離1キロの場合で考えると、見分けられる大きさは30cmで、「人の大きさ」には全然満たない。


私としては、気になった話を、とりあえずRTしたり、シェアしたりするのは原則構わないと思っている。少なくとも(自分が確度の高い情報だけを得たいからと)「お前らがちゃんと調べてからシェアやRTしろ」というような、他人に情報選別の責任なすりつけるような卑怯なのは論外だと思っている。すると、その「とりあえず」が先行して、結果的に拡散しちゃうこともあるだろう。でも、「気になった」のならちゃんとフォローして確かめた方がよいと思うのだ。ただの「デマ拡散マシーン」に成り下がるよりは。

失われた傑作

ハリウッドの大失態! サイレント映画全盛期の作品、その70%はもう二度と見れないことが発覚 : ギズモード・ジャパン

う~む。映像作品の創り手、配給元が、実は映像作品を軽んじていたというか……

1970年代のNHKも、制作した番組を保存するということに全く無関心だったようで、多くの傑作が失われているのではないかと思う。

 

私にとって膝から崩れ落ちるぐらいショックだったのは、(私の小学生時代)大人気番組だった人形劇「新八犬伝」が、全く残っていないということを知ったときだった。

 

放送終了と共にテープを消去 され、現在は残された第1話、第20話、最終話の3本と映画版しか見ることのできない、幻の作品となっています。

   新八犬伝をもう一度見ようよ!

 

黒子の語りとして登場した、坂本九の「本日、これまで!」の台詞は、今の「じぇじぇじぇ」や「倍返しだ」以上の流行言葉だったと思う。あの素晴らしい冒険活劇がもう見れないとはなぁ。悔しいやら悲しいやら。

 

つい最近知って悶絶しているのは、ルイジ・コメンチーニ監督のテレビドラマシリーズ「ピノッキオの冒険」(日本語吹き替え)(全6回)。

参考:ピノッキオの冒険

 

1974年にNHKで一夜に1話分ずつ6夜に渡って放送されたとされているのだけれども、私はこれを一挙放送で見た。物悲しいテーマ音楽と、ピノッキオが言いつけを守らず何度でもふらふらと安易な悪いことに手を出してしまう、数々の場面はあまりに狂おしい。見ていられなくなってTVのスイッチを消すのだが、10秒後にはやっぱり見たくなって再びスイッチをいれてしまい見続けてしまうという。

 

私にとって、「ピノッキオ」の映像作品といえば、これしかない。後にディズニーのピノッキオを見たときには、「何という子供だましっ、ケッ」という印象を持ったものだ(勿論、大人になってからディズニーの方の良さも見直すことになるのだが)。

 

この強烈な映像作品には、つよい感銘を受けた人も多いようで、今でもネットにはこれを捜し求める書き込みを沢山見つけることができる。しかし、ネット情報によれば、どなたかがNHKに問い合わせたものの「そんな番組、うちでありましたっけ?」レベルの返答で追い返されたそうだ。

 

なお、元はイタリアで制作されたもので、その原語の映像はYouTubeでも見ることができる。あの物悲しい音楽は聴くことができる。

 

参考:


Le avventure di Pinocchio 1° parte - YouTube

 

 

また、別の日本語吹き替えが版がDVD Boxで販売されたようだが、あまり評判は芳しくないようだ。そして、それでさえ、とんでもないプレミアムがついて、4万円近い価格となっている。

 

NHKには、子供時代のあの感動を返せと迫りたい気分である。

「震災時、米の原発安全策「秘匿」 保安院課長も見られず」の胡散臭さ

震災時、米の原発安全策「秘匿」 保安院課長も見られず」の胡散臭さ

まず、以下の話を分析してみよう。

秘匿された情報は、2001年の9・11同時多発テロを受け、米政府が自国の原発に義務づけた対策の内容で「B5b」と呼ばれる。

全電源喪失に備え、
 (1)持ち運びできるバッテリーの配備
 (2)ベント弁や炉心冷却装置を手動で動かす手法の確立
 (3)手順書の整備や作業員の訓練
――といった対策を具体的に


全電源喪失のリスクが、秘密ではなく、日本でも知られているならば、その対策手法に

  1.  持ち運びできるバッテリーの配備
  2.  ベント弁や炉心冷却装置を手動で動かす手法の確立
  3.  手順書の整備や作業員の訓練

が必要だということが、独自に考えてわからないはずはない。原子力発電所の大まかな原理を知っている大学生でも、テストの一日前に考えればすぐに思いつくようなことだからだ。

では、「全電源喪失のリスク」自体が秘密なために、日本では知られていなかったのか?そんなことはない。2006年5月、10月および12月に、衆議院内閣委員会で共産党の吉井英勝氏が、津波のリスクとともに、「全電源喪失のリスク」を指摘し、対策を質問している。

当然、政府はその質問に回答する答弁を考えているのだから、そのリスクについて知らないなんてことはありえない。

当時の原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は

外部電源がすべて喪失されて、非常用の所内電源、ディーゼル発電機、隣の発電所からの電源融通もできないとか、いろいろな悪い事態が、非常に小さい確率ながらも一つ一つ、全部実現をして、それで外部電源が全部喪失されて冷却機能が失われるということになると、もちろんその時間にはよるが、長時間にわたると炉心溶融とかそういったことにつながるというのは、論理的には考え得る

と答えたらしい。それでも全電源喪失ののリスクを知らなかったと言えるか?

参照:



従って、“震災時、米の原発安全策が「秘匿」されていたから”全電源喪失の対応ができなかったという言い訳は、全電源喪失の対応ができるはずだったのに、しなかった責任を負うべき人物や組織が、責任回避のために「知らなかった」音頭を目くらましに踊って誤魔化そうとしてるのだとしか考えられない。

全電源喪失のリスクを指摘され、認識しているにも関わらず、対策しなかった組織はどこですか。今回、全電源喪失のリスクについて米国が秘匿していたから、自分達は知らなかったと主張している組織はどこですか。その2つの組織、まさか一致したりはしてませんか。

 

班目氏は、これまでの原発の安全指針は、津波に対する対策がないなど「明らかに誤りがあった」と発言。アメリカで全電源喪失への対応など安全基準を高める動 きがあったのに、「日本では、なぜそれをやらなくていいのかという言い訳づくりばかりやっていた」と、実態を明らかにしました。

“やらぬ言い訳考えた”/全電源喪失対策で班目氏/国会事故調

 

つまり、今もなお、全電源喪失への対策をやらなかった言い訳づくりをしているということですね。

手遅れな「特定秘密保護法」

小田嶋隆氏の うんざりするほど当たり前のこと:日経ビジネスオンライン  を読んだ。相変わらずうまい文章だ。

この「うんざり」感と似た感覚を持っているのは、私もそうだし、そして、私の周りに大勢いるのではないかと思う。「特定秘密保護法」について核心の議論をできるはずのような人が、ほぼ黙ってしまっているか、敢えて周辺部分について軽くコメントするだけに留めている。

うんざり感と、うんざり感のよって来る事情は、ほぼ言い当てられてると思うが、一つだけ修正しておいた方がよいと思うことがあるので述べておく。

特定秘密保護法が定められることになったのは、「自民党だから」ではない。元は民主政権がはじめたことだと考えたほうが近い。

そもそも、現行法でも公務員が国家秘密を守る法律はあって、そしてそれなりに機能してる。それなのに、もっと厳格な(?)国家秘密を守る法律が欲しいとなった元には、2つの源流がある。

1つは2010年10月末の警視庁国際テロ捜査情報流出事件。ここで政府や政治家の一部が気にしているのは「国際テロ組織に関する公式文書114点のデータが流出したこと」ではない。「警視庁公安部外事三課から漏れたことを隠せなかったこと」だ。

もう1つは2010年11月初旬の尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件。ここで政府や政治家の一部が気にしているのは、「流出したビデオが秘密指定されているとは言えず、流出させた人物を罰することができなかったこと」(有体にいえば、あとから秘密指定されていたことにできなかったこと)だ。

この2つ事件は、構成も、またそれぞれの関係者の「意図」も全く異なるが、それがほぼ同時に起こったことで、当時の官房長官、仙谷由人氏はもっと厳しい国家秘密保護の法律を作らねばならないことを明言し、2つの流れは合流した。

だから、現行の公務員の守秘義務に加えて、特定秘密保護法が設けられるのは、最初から「国家、政府の失敗を糊塗できるようにする」のが最大の目的だし、それ以外にたいした意味はない。

そして、この動きはたまたま当時政権与党だった民主党がはじめたものであって、与党がどこであっても、この法律が推進されるのは既定事項だったのだ。自民党が大勝していたから「具体的な法案を通しやすかった」だけに過ぎない。

ということで、民主党政権時代からこの動きが理解できていた人ならば、選挙がどうあろうとも、「うんざり」なのだ。

「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」の出典

「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という粋な歌がある。一般に一休さんの作だと言われているようだ。


ウィキペディアの「一休宗純」の項には次の記載があった。

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし(『狂雲集』[要出典])

『一休蜷川狂歌問答』に「門松はめいどのたびの一里づか馬かごもなくとまり屋もなし」という類似の歌がある。 一方『狂雲集』は漢詩集なので和語の歌は収録されておらず、念の為点検したがその様な内容の詩偈も見当たらない。 一般に流布している歌だが、禅文化研究所発行の『一休道歌』には見当たらず、後世の変容である可能性が高い。

しかし、近代デジタルライブラリーで見ることのできる『一休蜷川狂歌問答』(3種の版が上がっている)には、「門松はめいどのたびの~」の歌を見つけることはできなかった。

色々探していたところ、無漏道人編「一休禅師 : 諸国漫遊 」明42.9 三芳屋書店・岡村書店 九十一 (p.266~p.299) (コマ番号146/243) に、「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」に関する記述を見つけることができた。

一休「……門松は冥土の旅の一里塚と拙僧が正月に於いて詠んだ事があった

新左衛門「左様に厶います

一休「目出度くもあり目出度くもなし、アヽ本来空無一物、併し夫れは夫れとして、どうか死なヽいやうにいたして呉れ、さうでもない冥土から迎いが来たら、まだ二十日計り待てといって日延べををして置いたが宜い

 

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一休蜷川狂歌問答にしても、一休禅師諸国漫遊にしても、 明治の編纂であるから、この歌を 史実的に 一休が詠んだかどうかはわからないが、 明治のころには既に「 一休が詠んだ」と定着していたらしいと分かった。