手遅れな「特定秘密保護法」

小田嶋隆氏の うんざりするほど当たり前のこと:日経ビジネスオンライン  を読んだ。相変わらずうまい文章だ。

この「うんざり」感と似た感覚を持っているのは、私もそうだし、そして、私の周りに大勢いるのではないかと思う。「特定秘密保護法」について核心の議論をできるはずのような人が、ほぼ黙ってしまっているか、敢えて周辺部分について軽くコメントするだけに留めている。

うんざり感と、うんざり感のよって来る事情は、ほぼ言い当てられてると思うが、一つだけ修正しておいた方がよいと思うことがあるので述べておく。

特定秘密保護法が定められることになったのは、「自民党だから」ではない。元は民主政権がはじめたことだと考えたほうが近い。

そもそも、現行法でも公務員が国家秘密を守る法律はあって、そしてそれなりに機能してる。それなのに、もっと厳格な(?)国家秘密を守る法律が欲しいとなった元には、2つの源流がある。

1つは2010年10月末の警視庁国際テロ捜査情報流出事件。ここで政府や政治家の一部が気にしているのは「国際テロ組織に関する公式文書114点のデータが流出したこと」ではない。「警視庁公安部外事三課から漏れたことを隠せなかったこと」だ。

もう1つは2010年11月初旬の尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件。ここで政府や政治家の一部が気にしているのは、「流出したビデオが秘密指定されているとは言えず、流出させた人物を罰することができなかったこと」(有体にいえば、あとから秘密指定されていたことにできなかったこと)だ。

この2つ事件は、構成も、またそれぞれの関係者の「意図」も全く異なるが、それがほぼ同時に起こったことで、当時の官房長官、仙谷由人氏はもっと厳しい国家秘密保護の法律を作らねばならないことを明言し、2つの流れは合流した。

だから、現行の公務員の守秘義務に加えて、特定秘密保護法が設けられるのは、最初から「国家、政府の失敗を糊塗できるようにする」のが最大の目的だし、それ以外にたいした意味はない。

そして、この動きはたまたま当時政権与党だった民主党がはじめたものであって、与党がどこであっても、この法律が推進されるのは既定事項だったのだ。自民党が大勝していたから「具体的な法案を通しやすかった」だけに過ぎない。

ということで、民主党政権時代からこの動きが理解できていた人ならば、選挙がどうあろうとも、「うんざり」なのだ。