編曲はそんな容易いものじゃない
5月下旬に健康上の問題が発生し、合奏の約束や、弾き合い会のエントリーを全てキャンセルする事態となってしまった。各方面に迷惑をかけてしまった。
療養中は編曲ぐらいしようかと思っていたが、体調不良の時はその気力も起きないもので、結局何もしないまま、時が過ぎ、ようやく休養明けとなって、ピアノ練習も再開しはじめた。元から下手なのは言うまでもないが、練習を休むととんでもない惨状になるが、ある意味自分の何がダメなのかがより明確になるとも受け止めたりしてる。
私のだめなところは、端的に、ピアノ演奏の経験値が低いことで、定型的な音の移行について、手が全くついていかないことである。いちいち指使いを考えなくても、無理のない運指がほぼ初見でできるのだから、それが典型的な曲展開であることは分かっているのだ。しかし、それが全く弾けないのは、そうした典型的な進行の曲さえ、ろくに練習がなされてないから手に馴染んでないだけのことなのだ。
閑話休題。シチリア舞曲や、偽作曲を手掛けきてるわけだが、これらの多くはピアノ曲ではないので、ピアノ用の編曲が必要になる。これらは有名曲なのでピアノ編曲も数多くあると予想されるので、楽譜を探すわけだが、「てんで分かってない」編曲が世の中に溢れかえっていて呆れる。
原曲の音をできるだけそのままピアノ用楽譜に持ってきて、指がとどくように音を減らして「編曲でござい」というのばかりなのである。そんな単純作業はいまや機械でできるはずだが、ピアノは他の楽器とはその特性が違うのだから、そんな単純移植しただけでは曲をつまらなくするだけなのに。そういうのは原作の冒涜だろうと思う。
酷い「編曲もどき」の例をあげると色々問題が生じるだろうから、ちっとは頭を使った方を紹介しよう。
ハイドン作、あるいはレオポルトモールアルト作だとされた偽作曲「おもちゃの交響曲」のピアノ編曲版はそこここに転がっているが、その殆どは左手での8分音符の同音連打が延々と続くおバカ編曲である。この曲の「曲想」をしっかり受け止めて編曲すると、例えばこうなる。
編曲は轟千尋氏だそうだ。全音ピアノピース(PP-564) 『レオポルト・モーツァルト:おもちゃの交響曲』
とはいえ、何をどうやっても、原曲の味をそのまま活かしてピアノ曲にはならないと思える曲もあって、ヴィヴァルディの合奏協奏曲 RV 565 2楽章はどうにもならないと諦めた。ダメな編曲の典型的な形である。
Vivaldi RV565 Concerto in D Minor 2nd mov. for Piano Solo by akof musescore.com
しかし、
チェロとハープのデュエット用の編曲
Concerto V in D Minor (BWV 596) for Cello & Harp by Mike Magatagan musescore.com
を聴いて、この曲をこんな素敵に編曲ができるのか思わされた。ならば、ピアノ編曲ならどういう形が可能かと、自分がこれまでに編曲した曲、これから編曲しようとしてる曲のピアノ編曲版を探して学ぼうと考えた。
そこで見つけたのが、
である。打ちのめされた。これを聴いて祈らずにはおれようか。プロの編曲とはここまでやるのか。楽譜はこれである。
いきなり、こんな具合にはいくはずもないが、改めてヴィヴァルディの合奏協奏曲 RV 565 2楽章に取り組んで、こうなった。
Vivaldi RV565 Concerto in D Minor 2nd mov. for Piano Solo by AkoFujiwaka musescore.com
まだまだ満足はいかないが、これが第1歩である。
ポンセのギター曲「バレエ」は、カノンを導入して編曲した。
Ponce Weiss - Balletto by akof.1
これなら人に見せても許されるだろうレベルではないだろうか。
しかし……数々の名編曲を残したGodowskyにも、こんな怪作があるのだぁ。
Symphony No.40 in G minor, K.550 for piano solo