冷蔵庫に入った写真をSNSにアップして注目を浴び、承認欲求を満たそうとする問題

"冷蔵庫に入るのは
そんなに大きな罪じゃないと思う。
でも~
~全然建設的な議論になってない。”


http://anond.hatelabo.jp/20130905112459

~は違う、(何故なら~~だから)、
~は違う、(何故なら~~だから)、
~は違う、(何故なら~~だから)、
……
と言いつづけていて、一つ一つはまぁ納得できなくもない話なんだけど、結局建設的なことは言えてないんではないかな。

「冷蔵庫に入った写真をSNSにアップして注目を浴び、承認欲求を満たそうとする問題」
への対応の考え方については、

A 「“冷蔵庫の食品が汚染されたこと、当該会社の食品が汚染されているかもしれないリスクがあること”について、多くの人が知ってしまった事」の後始末をどうするか(事件個別の収拾)
B 冷蔵庫に入った人物、写真を撮ってアップした人物への罰(特別予防として)をどうするか、今後教育をどうするか
C 同様事案を当該会社で、あるいは社会一般で再発させない(一般予防)ためにはどうするか

の3つの目的の違いは意識しつつ考えるべきではないのか。

その区別を意識せずにいるから、大した罪ではない(から寛容に対処せよ)(A)説と厳罰に処せ(C)説とか意味不明な対立を起こしてしまうのだ。

Aについて、「冷蔵庫の食品が汚染されたこと」への対応は、当該事案で判明した汚染食品を処分するだけでたりるはず。「当該会社の食品が汚染されているかもしれないリスクがあること」は、BとCの前半への対応実施について、「広くしっかり説明する」ことが求められるが、BとCを「より重く、より激しく実施」しても効果を上げない。

Bについてだが、「より痛い目に遭えば、より反省する」説信者はおそらく、厳罰に処せといい続けるのだろう。が、仮に「より痛い目に遭えば、より反省する」説が正しくても軽い罪も重い罪も同じように「厳罰」に張り付いてしまうと、重い罪の予防はできなくなってしまう。冷蔵庫に根っころがった写真(実損害100万円未満)と、故意にミスオーダー出してる写真(実損1億円超)と同じ罰でよいだろうか?

「冷蔵庫寝っ転がり写真SNSアップ」は、どれほど「重い罪か」という観点ではなく、「どれほど多くの人に(マイナスの)影響を与えてるか」という観点が重要で、その点に対する想像力が働かないからこそ、気楽に「冷蔵庫寝っ転がり写真SNSアップ」してしまうのだと思う。

だから、特別予防や、教育的観点から言えば、「どれほど多くの人に(マイナスの)影響を与えたか」を、ネットやメディアでの取り上げられ方を「定量的に」(つまり人数)がわかるように一つ一つ数えさせ理解させることと、可能な限り全ての関係者(代表)の所まで訪れてきちんと(何がどう悪かったか、自分の口で述べて)謝罪し、許しを請うということをさせるのが、比較的効果があると思う。
100箇所も回れば、いくら馬鹿でも自分のやったことの影響の大きさに気づかないはずはなかろう。

そして、こうした直接の謝罪は、Aの「しっかり説明」にも(副次的だが)多少効果がある。

Cについては、「Bの関係者全員への謝罪」の様をプレスリリースなどに克明に示すのも、少々は効果があるだろう。しかし、啓蒙すべき「情報リテラシーが無く、かつ、想像力の無いDQN」には、こうした「馬鹿を既にやってしまった一個人の有様」や、「被害に遭った一企業の努力」とかでは全く届かない(当然だが、馬鹿を一人死刑にして晒し頸にしたところで、届かないことには変わりは無い)。起こった事案個別の対応とは別に、社会的な啓蒙方法が考えられねばならないと思う。