オマージュ

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今年はドビュッシー没後100年のアニバーサリーイヤーということでドビュッシーの曲を物色していた。そして「版画」の第2曲「グラナダの夕べ」(1903発表)を聴いた瞬間、「なんだこれ?これにそっくりな曲をラヴェルが書いていたはずでは!?」と強く感じた。

案に諮らんや、ラヴェル「スペイン狂詩曲」の第3曲「ハバネラ」(1908発表)が、ドビュッシーの「グラナダの夕べ」に似ていることが分かった。

そして調べていくうちに、この2曲が良く似ていると感じたのは私だけではなく、これらの曲が発表された当時から、よく似ていると話題になっていたことが分かってきた。なんと、ドビュッシーグラナダの夕べ」は、ラヴェル「ハバネラ」から盗作したのではないかとまで言われたのだとか。

彫刻家シャルル=ルネ・ド・ポール・ド・サン・マルソーの妻、Marguerite Jourdain(音楽サロン主宰し、ラヴェルの友人として知られている)は、ドビュッシーに対し、「ラヴェルの10年前の『ハバネラ』のアイデア盗んだものだ」と指弾したと伝えられている。(Matthew Brown 『Debussy's Ibéria』)。1908年に発表されたラヴェルの「スペイン狂詩曲」よりも先の1903年に発表されたドビュッシーの「グラナダの夕べ」の方に盗作疑惑をかけられたのには訳がある。

1898年3月5日の国民音楽協会第266回演奏会においてラヴェルは「耳で聴く風景」という組曲を発表して作曲家として公式デビューを果たした。この「耳で聴く風景」の第1曲こそ、「ハバネラ」だったのである。しかし、その楽譜は当時出版されなかった。

当時ラヴェルとの交友関係があったドビュッシーは、この国民音楽協会第266回演奏会の演奏を聴いており、さらにラヴェルから個人的に「耳で聴く風景」の手稿譜を借りていることが分かっている。そのことから、実際にはラヴェルの「ハバネラ」が先で、ドビュッシーの「グラナダの夕べ」の方が後なのだ。

ラヴェルは当時、自身の作によく似た「グラナダの夕べ」については不快感を示したといい、その頃からラヴェルドビュッシーの交友関係は途切れてしまったのだ。ラヴェルドビュッシーの様々な曲の間には類似性が見出されていて、ピエール・ラロがラヴェルの「博物誌」はドビュッシーの曲を盗んでいると酷評するなど、ラヴェルは何かと不愉快な目にあっていたようだ。

ラヴェルが、「スペイン狂詩曲」の第3曲に「ハバネラ」を入れて出版したのは、そうした流布されている「ラヴェルドビュッシーを真似ている」説を留めるためだったのではないかと言われている。「スペイン狂詩曲」の中で、唯一「ハバネラ」だけは「夜への前奏曲」の動機が現れないなど、他の3曲とは趣を異にするのは、ハバネラだけが全く別に作曲されたものだからだ。

さて、ドビュッシーは本当にラヴェルの「ハバネラ」の曲想を盗んだのだろうか。比較の譜例(Deborah Mawer著「The Cambridge Companion to Ravel」)を見ると非常によく似ている。全体の調性だけでなくこのようにメロディやく和音までが酷似しているのだ。

 

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しかし、ドビュッシーラヴェルの「ハバネラ」を盗んだとしては説明のしにくい奇妙なことがいくつか指摘されている。ドビュッシーは、ラヴェルから「ハバネラ」の楽譜を借りた後、ハバネラのリズムの曲を「グラナダの夕べ」よりも前に「リンダラハ」というハバネラのリズムの曲を作曲している。このドビュッシーの「リンダラハ」もラヴェルの「ハバネラ」と似ている面があり、そのためドビュッシーは「リンダラハ」を発表しなかったのではないかと言われている(リンダラハの出版はドビュッシーの死後である)。

しかし、リンダラハがラヴェルの「ハバネラ」にどれほど似ているかと楽譜を比較してみても、酷似しているとまでは思えない。「グラナダの夕べ」は和音進行がラヴェルの「ハバネラ」と同じ部分があるだけに、「グラナダの夕べ」の方がより似ていると思わせるものがあり、なぜドビュッシーは「リンダラハ」は発表をとりやめ、その一方で「グラナダの夕べ」を発表したのかというのは腑に落ちない印象がある。

 

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いくつかの研究では、ラヴェルドビュッシーはそもそも同じ和音進行形を好んで用いるために、この2人には似た曲の組み合わせが多くできてしまうのだという。(Deborah Mawer著「The Cambridge Companion to Ravel」)

実際、「ハバネラ」と「グラナダの夕べ」とで共通する和音進行は、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」(1894年)にも現れているとのことであり、したがってドビュッシーがこの和音進行形を「ハバネラ」から盗んだわけではないとされている。(Deborah Mawer著「The Cambridge Companion to Ravel」)

それにしても、ラヴェルの「ハバネラ」とドビュッシーの「グラナダの夕べ」の動機はよく似ており、その類似性について気付き得たドビュッシーは、ラヴェルに一言断るなどすればよかったのにと思わざるを得ない。(ドビュッシーラヴェルに連絡することなく「グラナダの夕べ」を含む「版画」を発表演奏会をしている)

さて、スペイン人作曲家のファリャは、ラヴェルともドビュッシーとも親交があり、スペイン風のリズムを持つ、ラヴェルの「ハバネラ」もドビュッシーの「グラナダの夕べ」も、どちらも絶賛している。ファリャはフランス人作曲家の2人のよき理解者だったのだろう。

ドビュッシーが亡くなったあと、Revue musicaleという雑誌社が10人の作曲家にドビュッシーの追悼曲集のための作曲を依頼した。ファリャはその依頼を受けてて「オマージュ」というタイトルのギター曲(ファリャにとって唯一のギター曲)を作った。

この曲の最後には、ドビュッシーの「グラナダの夕べ」の動機がオマージュとして現れる。曲タイトルの「オマージュ」は、無論ドビュッシーのオマージュだという意味であるが、同時に、「『グラナダの夕べ』は(ラヴェルの)オマージュだ」と言えば良かったのではとファリャは語りかけてるようにも聴こえる。

 

youtu.be

20180225 第27回関西ツイピの会での演奏:

ドビュッシー/「版画」より「グラナダの夕べ」(1903)

ラヴェル(ガルバン編)/「スペイン狂詩曲」より「ハバネラ」(1908)

ファリャ(ファリャ編)/「ドビュッシーの墓碑銘」より「オマージュ」(1920)

 

そう、今年はドビュッシーの没後100年だ。 

 

追記:「NaxosofAmerica(Sono Luminus の代理)」から、Michael Lewin の演奏録音のパクリだと著作権侵害の申立てがあった。私の演奏が Lewin と同じ程度に上手いわけねーだろ。Lewin に対する最悪の侮辱だとわからんのか? Lewin に土下座して謝るべき。

著作権者達が、自身の扱う商売用コンテンツのクオリティを、底辺アマチュアの芥コンテンツと「同じだ」と主張して回って自身のコンテンツの価値を貶めてるのって、これ以上愚かなことがあろうかと思う。こう言えば目が覚める?「Lewinの演奏録音お金出して買うぐらいなら、藤若亜子の演奏をただで聴いた方が良いって、Naxosが言ってるよ」ってね。こういう究極の下衆と契約してしまったアーティスト(Lewin)が哀れである。

 

音楽(CD)が売れないとか言ってるの、当たり前だよね。売ってる商品を、「ごみと同じだ」と主張してまわってるんだから。こういう腐れた金の亡者は一刻も早く滅びるべき。