「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」の出典

「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という粋な歌がある。一般に一休さんの作だと言われているようだ。


ウィキペディアの「一休宗純」の項には次の記載があった。

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし(『狂雲集』[要出典])

『一休蜷川狂歌問答』に「門松はめいどのたびの一里づか馬かごもなくとまり屋もなし」という類似の歌がある。 一方『狂雲集』は漢詩集なので和語の歌は収録されておらず、念の為点検したがその様な内容の詩偈も見当たらない。 一般に流布している歌だが、禅文化研究所発行の『一休道歌』には見当たらず、後世の変容である可能性が高い。

しかし、近代デジタルライブラリーで見ることのできる『一休蜷川狂歌問答』(3種の版が上がっている)には、「門松はめいどのたびの~」の歌を見つけることはできなかった。

色々探していたところ、無漏道人編「一休禅師 : 諸国漫遊 」明42.9 三芳屋書店・岡村書店 九十一 (p.266~p.299) (コマ番号146/243) に、「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」に関する記述を見つけることができた。

一休「……門松は冥土の旅の一里塚と拙僧が正月に於いて詠んだ事があった

新左衛門「左様に厶います

一休「目出度くもあり目出度くもなし、アヽ本来空無一物、併し夫れは夫れとして、どうか死なヽいやうにいたして呉れ、さうでもない冥土から迎いが来たら、まだ二十日計り待てといって日延べををして置いたが宜い

 

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一休蜷川狂歌問答にしても、一休禅師諸国漫遊にしても、 明治の編纂であるから、この歌を 史実的に 一休が詠んだかどうかはわからないが、 明治のころには既に「 一休が詠んだ」と定着していたらしいと分かった。